1から始める数学

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現代論理学(その30)

 現在2022年4月2日20時22分である。(この投稿は、ほぼ870文字)

麻友「今日は、マック?」

私「新聞買った後、マックにいた」

若菜「ブルバキを、読んでいたみたいですが」

私「ブルバキの第Ⅰ章の最後に、付録が付いているんだ。「項および論理式の特徴づけ」という見出しが付いているけど、あまり読んだことがなかった。『現代論理学』に移るに当たって、この部分も、カバーできるのかな? と、3日前から、読み始めていた。丁寧に読んでみると、それほど、難しいことを言っているわけではなくて、この付録の問題は、『現代論理学』の定理を用いて、解けることが、分かった」

若菜「えっ、問題が? 何番が解けたんです?」

私「付録の問題の、6番と7番と8番」

若菜「7番と、8番は、難問だと、警告が付いているのに」

結弦「どういう問題なの?」

私「『現代論理学』で、『証明』の定義を、3通りすると、言っただろう。そのひとつで、ブルバキのものに一番近い、公理系という方法が、あるんだけど、『現代論理学』では、3個、ブルバキでは、4個の公理を採用する。その3個とか4個とかのものが、他の2個や3個のもので、代用できないかというのが、問題。つまり、3個か4個のものは、必要不可欠ということだね。『現代論理学』に、解き方が、丁寧に書いてあった」

麻友「他の本を読んでみると、答えが書いてあることが、あるのね」

若菜「今日は、時間が経っちゃいましたし、本文は進んでませんが、終わりにしませんか?」

私「申し訳ない。ひとつ見つけたことを、書いて、終わりとする。『現代論理学』では、命題の真を {1} で、偽を {0} としていた。でも、ブルバキは、その逆の定義をしている。自分の本を書くとき、ほんのちょっとは、他の人と、違うことをしてみよう。というのは、人情だ。私は、今、どっちの定義を採用しているのか、分かるように、書いていこうと、思う」

麻友「じゃ、おやすみ」

若菜・結弦「おやすみなさーい」

私「おやすみ」

 現在2022年4月2日22時38分である。おしまい。