1から始める数学

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現代論理学(その48)

 現在2024年4月10日20時11分である。(この投稿は、ほぼ1412文字)

麻友「随分、久し振りねえ。『現代論理学』なんて、

去年の終わりくらい以来よ」

私「余りに難しい本ならともかく、自分が興味のある分野の、目標としている本は、いつも身近に置いておくのは、当然として、1、2度は、最後まで読んでおくべきだと、ツクヅク思った」

若菜「『現代論理学』は、お父さんに取って、そういう本なのですね」

私「本当は、もう少し難しい本も、読んでおけば良かったかな? とも、思ったけど」

結弦「例えば?」

私「和書では、

などは、針が振り切れるくらい、レヴェルが高い」


麻友「それで、今日の報告は?」

私「数学者にとっては、易しいことだったのだろうけど、『等号をもつ理論』だと、言った場合、どういうことまで含まれるのか、私は今日まで余り分かっていなかった」

若菜「等号って、イコールですよね。{x=y} みたいな」

私「そう。麻友さん達には、命題論理は、かなり教えたけど、述語論理は、教えていないので、気持ちだけ、伝えておくと、

{x=x} が、正しい場合、{\forall x (x=x)} (任意の {x} で、{x=x} )の、様に書ける。

一方で、

{x=y} が、正しい場合、{\forall x (x=y)} と、書けるだろうか? {\exists x (x=y)} (ある {x} が存在して、{x=y} )と、なるのではないか? この違いは、述語論理で、どう解決されているのだろうか?

こんなことを、ときどき頭の片隅で、考えていたんだよ」

麻友「そんなに、はっきり書けることなら、解決されていると思うわよ」

私「うん。そうだろう。私は、自由変数と、束縛変数の、書き分けという重要なものが、なかなか根付かないので、ここが、気になったんだ」

麻友「私と、おしゃべりしたかったのね」

私「もちろんだよ」


若菜「全部、証明したことしか、使わない。初等的な本は、軽くスルーするだけ。とかばっかりやってると、折角面白い話が、転がっていても、見落としちゃいますよ」

私「確かにそうだな。最近、『集合と位相』の賑やかしに、

を、読んだりもしてる。証明に拘らなければ、

や、

や、

なども、どんな定理があるのか、表敬訪問するのも良いかも知れないな。今晩、麻友さんに会って良かった」

結弦「お母さん、喜ぶぞ」

私「もう薬飲んじゃったから、余り書けない。小さい図書館の数学、物理学コーナーより、はるかに本がある。色んな分野、楽しんで見るよ」

麻友「面白い話、待ってるわよ。おやすみ」

若菜・結弦「おやすみなさーい」

私「おやすみ」

 現在2024年4月10日22時34分である。おしまい。