現在2024年4月10日20時11分である。(この投稿は、ほぼ1412文字)
麻友「随分、久し振りねえ。『現代論理学』なんて、
去年の終わりくらい以来よ」
私「余りに難しい本ならともかく、自分が興味のある分野の、目標としている本は、いつも身近に置いておくのは、当然として、1、2度は、最後まで読んでおくべきだと、ツクヅク思った」
若菜「『現代論理学』は、お父さんに取って、そういう本なのですね」
私「本当は、もう少し難しい本も、読んでおけば良かったかな? とも、思ったけど」
結弦「例えば?」
私「和書では、
などは、針が振り切れるくらい、レヴェルが高い」
麻友「それで、今日の報告は?」
私「数学者にとっては、易しいことだったのだろうけど、『等号をもつ理論』だと、言った場合、どういうことまで含まれるのか、私は今日まで余り分かっていなかった」
若菜「等号って、イコールですよね。 みたいな」
私「そう。麻友さん達には、命題論理は、かなり教えたけど、述語論理は、教えていないので、気持ちだけ、伝えておくと、
が、正しい場合、 (任意の で、 )の、様に書ける。
一方で、
が、正しい場合、 と、書けるだろうか? (ある が存在して、 )と、なるのではないか? この違いは、述語論理で、どう解決されているのだろうか?
こんなことを、ときどき頭の片隅で、考えていたんだよ」
麻友「そんなに、はっきり書けることなら、解決されていると思うわよ」
私「うん。そうだろう。私は、自由変数と、束縛変数の、書き分けという重要なものが、なかなか根付かないので、ここが、気になったんだ」
麻友「私と、おしゃべりしたかったのね」
私「もちろんだよ」
若菜「全部、証明したことしか、使わない。初等的な本は、軽くスルーするだけ。とかばっかりやってると、折角面白い話が、転がっていても、見落としちゃいますよ」
私「確かにそうだな。最近、『集合と位相』の賑やかしに、
を、読んだりもしてる。証明に拘らなければ、
や、
や、
なども、どんな定理があるのか、表敬訪問するのも良いかも知れないな。今晩、麻友さんに会って良かった」
結弦「お母さん、喜ぶぞ」
私「もう薬飲んじゃったから、余り書けない。小さい図書館の数学、物理学コーナーより、はるかに本がある。色んな分野、楽しんで見るよ」
麻友「面白い話、待ってるわよ。おやすみ」
若菜・結弦「おやすみなさーい」
私「おやすみ」
現在2024年4月10日22時34分である。おしまい。