現在2021年7月1日17時53分である。(この投稿は、ほぼ4979文字)
私「『現代論理学』と、『数学基礎概説』は、どちらも、ちょっとずつ進める。差し当たって、今日は、『現代論理学』だ。前回、3人が若いということで、論理学の『』を、『』に置き換えることを、今後も続けることになった。前回のことを、思い出しながら、以下を見て欲しい」
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
安井邦夫『現代論理学』(世界思想社)
の、8ページの5行目から」
*******************************
ところで,われわれは上にとりあえず5つの結合子を採用したが,真理関数という観点から見れば,これらの結合子は互いに還元可能である.つまり次のような等式が成立する.〔この場合,等号 は,左辺と右辺の論理式が( に任意の真理値を与えた場合に)常に同一の値をとることを表している.〕
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
(7)
*******************************
(1)
1 1 1 1 1 1 1 1 1 1
1 0 0 1 0 0 0 0 1 1
0 0 1 0 1 1 0 1 0 0
0 1 0 0 1 0 1 0 1 0
私「↑ココ ↑ココ
この2箇所が、どの場合にも、同じになっているでしょう。だから、左辺と右辺の論理式が( に任意の真理値を与えた場合に)常に同一の値をとるわけで、こういう場合、等号で結ぶことにした、というわけなんだ。少なくとも、(1)に関しては、 に任意の真理値を与えた場合に、常に同一の値を取っているでしょ」
若菜「うーん。なんか、変ですね。なぜ、それを、 と、書いては、いけないのでしょう」
麻友「私も、そう思った。真偽が一致するのが、 の同値でしょう」
私「そのことでは、私も、随分頭を悩ませた。だが、数学が分からないときに、取るべき手段というものが、いくつかあるのだが、そのいずれもが、手を動かすことなんだ。まず、
(1)そこで使われている記号の定義を、確認する。なるべくなら、定義を、書き写す。
(2)何かを代入できる変数があるのなら、それに、具体的な数か、何かを、いくつか、代入してみる。その場合も、なるべくなら、頭で考えているだけでなく、手で書いてみる。
(3)分からない式自体を、ノートに、書き写してみる。
(4)分からないのが、式や数でなく、何か名前の付いている概念の場合、その分からないものが、何かに対して、働きかけて、それが、別なものを、生み出している場合、それは、広い意味で、関数とか、写像と、呼ばれるものだから、どういうものから、どういうものを、生み出しているかを具体的に探って、関数とか、写像として捉える。
(5)ここまで、やっても、駄目な場合。私には、実際そういうものが、ありました。ホモロジー代数とか、圏論と言われるものでした。大学1年生(1991年)から、ずっと分からなくって、2020年になって、『圏論の歩き方』という本を見ていて、今までの知識が結びつき合って、分かったのです。
(5)までやらなくてもいいですから、(1)~(4)まで、試して見て下さい」
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
結弦「結局、等号『』と、同値『』の、違いは?」
私「上に、『数学が分からないときに、取るべき手段』というものを、5つ書いたのだが、実はもうひとつあるんだ」
若菜「どんなの?」
私「上に挙げたものは、どれも手を動かすものだ。次のものは、ちょっと違う。分からないことがあるとき、取り敢えずそれは認めることにして、先に進んじゃうという方法」
*******************************
分からない言葉にぶつかったとき、取り敢えず『そういうものが、あるんだ』と、思って先に進むのも、ひとつの方法
より抜粋。
若菜「お父さんは、マヤのように、そういうなにかが、あると、思うだけで、進める人。でも、何かを理解するときに、徹底的に拘るところは、亜弓的。お父さんは、主に数学ができない人に、『もうちょっと辛抱強く、数学の本を読んでみろ』と、言いたいのかも知れませんね」
私「小説じゃないんだから、読むだけで分かるわけないよ。ノートとシャーペンを、用意して、定義を写したり、式変形や、計算を、自分でやってみなきゃ」
結弦「お父さん、十分努力してるんだな」
私「『辛抱強く、数学の本を、読んでみろ』というのと平行して、ある本で躓いたから、数学は駄目だ、と思わない方がいい。『同じことを、もっと易しく書いた本が、大抵の場合ある』というのは、肝に銘じていた方が良い」
*******************************
(相対論のブログの『分からない言葉にぶつかったとき、取り敢えず『そういうものが、あるんだ』と、思って先に進むのも、ひとつの方法』という投稿より)
若菜「ああ、こういうこと、相対論のブログでありましたね」
麻友「そうすると、等号『』と、同値『』の、違いは、今は分からないまま、先に進んだ方が、良いというの?」
私「もうちょっと、先に進んで、トートロジーというものを、学んでから、考えた方がいい」
若菜「じゃあ、(2)~(7)も、保留で、先に進んでみましょう」
私「復習も含めて、8ページの10行目から、
*******************************
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
(7)
これらの等式を見ると,たとえば(6)により, は、 と とで定義可能である。また(3)により, も と とで定義可能であり,さらに(1)により, も と とで(したがって と とで)定義可能となる。したがって, の3つの結合子はすべて と とで表現できると言える.同様に, と とで他のすべての結合子を表現することができ,また と の組合せでも他のすべてを定義しうる.こうして若干の結合子を基本記号として置き,他の結合子を派生記号とみなせば,結合子の数を絞ることができる.しかし,他方では,結合子の数を切りつめればそれだけ論理式の表現が長くなり,論理式の意味の読み取りが困難になるということもある.したがって,その点の考慮も必要であり,以下しばらくは,上の5つの結合子を用いることにする.(のちのⅠ-Ⅲでは, と を基本記号とする体系をとりあげる.)
*******************************
(『現代論理学』8ページ下まで)
結弦「上の(1)~(7)を、認めると、論理記号が、絞れるんだな。前にも似たようなことを、やったな」
私「ブルバキが、 と、 だけから始めているというようなことを、書いたかもな」
麻友「等号『』と、同値『』の、違いは、余り分からないけど、等号の両辺が、同じとするなら、 と とで他のすべての結合子を表現することができるっていうの、なんとなく分かるわね。ブルバキも、それに立脚してるのか。太郎さんが、ブルバキやるのに、『現代論理学』やっておくと良いと、言ってた理由、少し分かった」
若菜「そもそも、なんで、記号論理学なんて、やらなければならないの? という感じでしたが、お父さんに騙されて、かなり記号論理学に、踏み込みましたね」
私「ここから、どんどん、計算みたいに、手を動かして、式を書く作業が、始まる。手を動かすことを厭わず、『正しい』とはどういうことか? 身をもって、感じ取って欲しい」
麻友「数学において、私に取って、正しいとは、どういうことかね」
私「そうだ」
結弦「恐ろしー」
若菜「あの2人には、付いて行かれませんね」
私「次のセクションは、トートロジーだ。楽しみにしてて」
若菜・結弦「おやすみなさーい」
麻友「おやすみ」
私「おやすみ」
現在2021年7月1日21時35分である。おしまい。