現在2020年11月16日17時46分である。(この投稿は、ほぼ3667文字)
私「麻友さん。新型コロナウイルス、結構大変なことになってるんだね」
麻友「ちょっと。そんなのとっくの前からよ」
私「私そもそも、新型コロナウイルスって、マスコミを巻き込んだ、デマだと思ってるから」
若菜「何のために、そんなデマ飛ばすんですか?」
私「例えば、大相撲とかを、未来のために、本物を、ハイヴィジョンで、録画しておこうとか」
結弦「死んでる人も、いるんだよ?」
私「だって、看取ってない」
麻友「信じてないのに、どうしてこの投稿を、始めたの?」
私「今、TBSの『Nスタ』見ていたら、オリンピックのバッハ会長が、
『ワクチンが、できたら、オリンピックに外国人が、来られるだろう』
って、言ったんだ」
麻友「ハッ、太郎さん。まさか」
私「もちろん。私に、『ワクチン作ってみろ』と、挑発されたと、受け取った」
若菜「ほんと、単純なんだから」
結弦「『細胞の分子生物学』10ページしか読んでないのに」
私「以前、若菜を救うために、メールにこう書いた私なのだから、
『ISAKは、小林りんさんとは、もう4年近く、連絡を取り合っていますが(確かめたければ、相対性理論を学びたい人のために、という私のブログの、検索窓に『しごくなあ』と入れると、『小林りんさん、しごくなあ』という投稿があって、分かります)、あの高校は、素晴らしい高校であるのは、確かです。
でも、ある意味、天才を作るための高校です。
天才というのは、確かに、幸せなことも、たくさんあります。でも、辛いこともあるのは、本当なのです。私がそうですから。
ユトリロのように、昔描いた自分の絵を模写して売るようなのは、本当の天才では、ありません。目の前に起こっていることを、自分の才能を使えば、なんとかなると気付いたら、お金なんかどうでも良いから、才能を使っちゃう。それくらいでなければ、天才には、なれません。
若菜ちゃんが、そこまで覚悟があるのか?ないなら、ISAKへは行くべきではありません。行かないという人生を楽しむのも、いいのです。私は最近、人は生まれたけれども、死なないと、思うように、なりました。死なないのなら、どんな生き方をしても、良いのです。だって、200年後ぐらいに、改めて行ったって良いのですから。
今回、これをお伝えしたかったのです。メールが届くよう祈ります。
それでは』
有言実行でなきゃね」
麻友「そう言いながら、数学のブログの記事書いてる」
私「数学、物理学、化学、分子生物学、全部使う。手の内を見せながらやろう。現在、『細胞の分子生物学』を読んでいるのは、ドラえもんのブログだ。あのブログを、もっと生かそう」
若菜「この投稿は、最初何のために、書き始めたのですか?」
私「数学での矢印の使い分けの、良い案を思い付いたんだ」
結弦「矢印? 一応、話してよ」
私「実は、数学では、『』 という矢印と、『』 という矢印、それから、それぞれを長くした、『』 という矢印と、『』 という矢印、の使い方が、教科書によってまちまちで、非常に私は、困っていた」
麻友「『ならば』っていう矢印以外に、他にあるの?」
私「例えば、
倉田令二朗『数学基礎論へのいざない』(河合文化教育研究所)
- 作者:倉田 令二朗
- メディア: 単行本
の8ページに、
数学の命題 に対し, とは が真であることを表すとする。
とある」
若菜「 は、どう定義されているんですか?」
私「これは、お前たちも知っている、『現代論理学(その22)』での、
だよ」
結弦「あれっ? 『現代論理学』では、 のところが、 になってたんだね」
私「いや、『現代論理学』では、本当は、『』 となってたんだ。だが、これは、論理学での書き方なので、私が、数学流に、書き換えたんだ。言ってなくてごめん」
結弦「そうなのか、論理学流の他に、更に、数学流が2つもあるのか」
私「でも、入れ替わってるだけだったら、問題は簡単だった。私が、困ったのは、
『 とは が真であることを表すとする』
という、『真であることを表す』って、どういうこと? という疑問だった」
麻友「『それが、真だ』それだけよ」
私「おい。私は、3人の数学を、そんな風に、優等生になるようには、仕込まなかったぞ」
若菜「でも、矢印の長さは、この際、関係ないんじゃないですか?」
私「それは、分かってる。二重矢印か、一本矢印か、が、問題なんだ。私がこの問題で、躓きまくったのは、いつもの『数学基礎概説』の表紙見返しに、こんなに書いてあるのを見れば、分かるはずだ」
結弦「えっ、歴史上最高の数学者で物理学者が、こんなに、迷ってる。どういうことなんだ?」
若菜「でも、今日、投稿したということは、解決したのですね」
私「私は、写真にあるように、『』 を、ブルバキや、『数学基礎概説』や、『現代論理学』の方を、選ぶのが良いと思った。さらに、『』は、『数学基礎概説』の第2章で現れる、LKの式(sequent)の『 』というときの矢印だと解釈した」
麻友「そのシークエントというのは?」
私「絶対正しい、 から始めて、正しい式だけを導けるLK(logistischer Kalkül)という体系を用いて、絶対正しいことが証明された式なんだよ」
若菜「だから、『真であることを表す』として良いだろうと?」
私「うん」
麻友「でも、太郎さん、そんなに困っているようには、見えなかったけど」
私「最後の悩みは、私の本は、30年も前の本だ。今数学では、どういう表記になっているか、調べる必要がある」
若菜「うんと、新しくなければ、なりませんね」
結弦「もう、年末だけど」
麻友「新しい本を買う?」
私「それを、考えながら歩いていたとき、1冊だけ、十分信用できて、とっときの新しい本を持っているのを、思い出した」
結弦「あっ、『数学原論』だ」
麻友「ああ、確かに、絶好のタイミングね。2020年4月10日初版、6月1日第2刷」
若菜「それで、現在、どっちの表記が、メジャーなんですか?」
私「私と大芝猛さんの勝ちなんだよ。矢印の使い方の圏論の教科書で、斎藤毅さんは、ブルバキ流だった。当たり前だけどね『数学原論』なんだから」
若菜「だから、お父さん、嬉しそうだったんですね」
結弦「結局、何年、悩んでいたの?」
私「実は、京都で、既に悩み始めていた。だから、1994年から、26年間だよ」
麻友「えっ、私が生まれた年じゃない。私の人生と同じだけ、飼ってた問題なの?」
私「見せてあげる」
麻友「これ、本物?」
私「そう。『発見・新たに知った事 2』のノート。このノートには、ページ番号は、振ってない」
麻友「0歳の私。数学と一緒に、太郎さんを、惑わしてきたんだ」
若菜「薬飲みましょ。21時14分です」
結弦「今晩は、いい夢見られますよ」
私「じゃ、バイバイ」
現在2020年11月16日21時16分である。おしまい。