1から始める数学

数字の1を定義するところから始めて現代数学を築きます。ブログの先頭に戻りたいときは、表題のロゴをクリックして下さい。

0から始める数学(その2)

 現在2020年7月20日18時46分である。

麻友「総攻撃開始、なんて思ったけど、全然ね」

私「このブログの初回に、私は、『これは何のためのブログか』という宣言を、書いている。それは、サーッと読めば、何でもないようだが、26年前京都で、

『数学を、1から築き直さなければ、数学の高度な研究が、進められない。時間が欲しい』

と、追い立てられるように、数学を勉強、あるいは研究していたものの、目標そのものである」

若菜「お父さん。他のところでも、その話を、書いていますね」

私「気が狂い大学を中退してきて、頭が壊れたようになってなお、それを求める思いは、消えなかった」

結弦「頭狂ってるのに、同じことを、続けるなんて、人間じゃない、動物みたいだな。でも、数学は、人間にしか使えないはずだし」

私「壊れても、同じ数学、繰り返すものが、人間以外にもあるぞ」

結弦「人間以外に?」

若菜「あっ、計算機、コンピューターじゃない?」

私「まあ、それは、別解だな」

若菜「じゃあ、お父さんが、用意していた答えは?」

私「私、松田太郎、という特別の人間だよ」

若菜「お父さんって、もしかして、サイボーグ?」

麻友「いじめないの。私も、(アイドル)サイボーグだったんだから」

若菜「これは、ふたりにはめられました。ところで、どうして、今日、この話題を?」

私「今日、このブログの、1歳の誕生日なんだ」

結弦「あっ、そうなのか。それで、今日、あっちこっちのブログ見て、書くこと決めてたのか」

麻友「書くことは、ほとんど、決まってたのよね」

私「うん。『1から始める数学』を、土台にして、そこから、『0から始める数学』へ、スライドさせるところを、精密に、説明しようと、思っていたんだ」

若菜「でも、準備に時間をかけすぎたようです。お父さん、もう寝る前の薬、飲んじゃったじゃないですか」


私「じゃあ、この場を借りて、ちょっと、面白い話をしてあげよう」

結弦「どんな話?」

私「最近、否定の否定が、肯定にならないという、つき合いきれない論理学というものがあって、それは、『直観主義論理(ちょっかんしゅぎろんり)』というものだ、という話を、チラチラしていた。私自身、そんな論理では、数学はできない、と思ってきた。だけどね、否定の否定が、肯定にならない、というのは、ちょっと意味が違うんだ」

若菜「どう、違うんですか?」

私「例えば、『三角形ABCが、正三角形である』というのは、普通の数学では、正しいか、正しくないか、どちらかだよね」

結弦「まあ、そうだろうけど」

私「『直観主義論理』では、何かが『正しい』と言っていたところを、何かを『確認する方法を持っている』ということに、置き換えるんだ。そうすると、例えば、麻友さんが生まれた翌年の1995年に、アンドリュー・ワイルズによって、350年以上かけて、証明された、フェルマーの最終定理は、今は、もう証明されているから、『フェルマーの最終定理を確認する方法を持っている』だよね。でも、私が大学生だった、1991年から1994年の頃は、『確認する方法を持っている』ではないし、だからといって、『間違っていることを確認する方法を持っている』わけでも、なかった。つまり、どちらか分からない、というのを許すのが、『直観主義論理』なんだよ」

麻友「太郎さん、良くは分からないけど、面白いと少し思った。このブログに、1歳の誕生日プレゼントできたんじゃない?」

若菜「じゃあ、みんなで、このブログに、言ってあげましょう」

麻友・私・若菜・結弦「お誕生日。おめでとう!」

私「じゃあ、解散」

 現在2020年7月20日21時28分である。おしまい。