現在2022年5月1日11時27分である。(この投稿は、ほぼ2539文字)
麻友「今日は、早いわね」
私「5時半頃から、起きている。ちょっと、飛ばし過ぎかも知れない」
若菜「どうなるのですか?」
私「『ボクには世界がこう見えていた』の、小林和彦さんは、木の芽時になるたびに、入院していたらしい」
結弦「お父さんは、入院を楽しんでいるけど、なぜ入院したくないの?」
私「入院した方が、楽しいよ。だけど、2カ月で、30万円とか、かかるんだ。ひとつき家賃が、43,000円の家を借りたまま、入院もするんだから、困っちゃう」
麻友「なるほどね。それで、今日は、何の話?」
私「『現代論理学(その29)』以来、この本が、進んでなかった」
若菜「これが、進まないと、ブルバキが、進まないのでしたね」
麻友「 まで、終わってるのよね」
私「 トートロジー は、非常に役に立つ概念を、紹介してくれる。私の言葉で、説明してくれと言われているが、本文が十分要約されているので、なぞってみる」
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前節のように論理式を真理関数として解釈することにすれば,それにより論理式を次のような3つの基本的なタイプに類別することができる.
1)そのうちに含まれる要素命題記号にどのように真理値を与えても常に という真理値をとるような論理式.これをトートロジー(tautology)ないしは恒真式と呼ぶ.
2)要素命題記号に或る真理値を与えた場合には真理値 をとり,他の真理値を与えたときには真理値 をとるような論理式.これを事実式(contingency)と呼ぶ.
3)要素命題記号にどのように真理値を与えても常に真理値 をとるような論理式.これを矛盾式(contradiction)と呼ぶ.
例1
次の真理表が示すように,論理式 はトートロジーであり, は事実式, は矛盾式である.
ところで,われわれの目標は〈valid〉,つまり「論理的に真」ないしは「論理的に正しい」ということを定義する点にあったが,ここにトートロジーの概念による第1の定義が与えられる.(のちに IーII,IーIII でさらに第2,第3の定義が与えられることになる.)つまり,1つの論理式が論理的に真であることは,ここではそれがトートロジーであるということによって定義される.こうして,たとえば,
といった論理式はすべてトートロジーであるが,それゆえにまた,「論理的に真」とみなされるわけである.
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(『現代論理学』9ページ)
若菜「えっ、これが、正しいの基準ですか? お父さんの、証明できれば正しい、と、違うじゃないですか」
私「そうなんだ。私やブルバキは、証明できれば正しい、だった。つまり、構文論的(syntax)な定義、トートロジーによる定義は、意味論的(semantics)な定義だ」
麻友「あっ、分かった。この意味論的な定義と、構文論的な定義が、一致するのね。だから、第2,第3の定義とか言ってる」
私「そうなんだよ。ブルバキが、証明できれば正しい、という立場だから、大学時代の私は、ブルバキを信じなかったが、後で出てくる、ゲーデルの完全性定理で、正しければ、証明できるということが、証明される。これで、ブルバキを信じられるように、私はなった」
結弦「そうすると、正しいかどうかは、真偽表を書けば分かるということ?」
私「今の段階ではそう。 や、 が、出てきていない、命題論理学では、真偽表を書けば、白黒判別できる」
若菜「あっ、そうか。数学では、 や、 が、必要なんだ。これは、何、論理学というのですか?」
私「述語論理学という」
若菜「そういえば、『1階の述語論理で』というのは、お父さんの口癖でしたね」
私「今日は、ここまでにするか。色々分かったし」
若菜・結弦「じゃあ、バイバイ」
麻友「バイバイ」
私「バイバイ」
現在2022年5月1日14時00分である。おしまい。