1から始める数学

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現代論理学(その24)

現在2020年2月3日17時40分である。

麻友「おっ、真面目にやる気になった」

私「いつだって、真面目だよ」

若菜「真面目かどうかより、書けるだけの時間的余裕がある、ということですね」

結弦「相対性理論のブログの『「やっほー」の効果(その7)』という投稿で、お父さんが、


『「日常言語での『親が、音楽教育を早期から始めたならば、モーツァルトのような天才が生まれる』というときの『ならば』と、数学での『正三角形ならば、二等辺三角形である』というときの『ならば』は、違うことを、次の本で知った」』

と言って、


圏論の歩き方

圏論の歩き方

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 2015/09/09
  • メディア: 単行本


という本を、あげている」

私「そうだ。論理学を始める前に、そのことを、書いておかないとね」

麻友「どういう話なの?」

私「上の、『圏論の歩き方』という本の、『第12章 すべての人に矢印を』という章で、こんなことが、書かれている」


*******************************

これらの「見えない矢印」は,実にさまざまの意味を持っています.中でも重要なのは,矢印 {A \rightarrow B} が,

{A} があるから {B} がある/{A} がなければ {B} がない

を意味する場合ではないでしょうか.実際,先ほど述べた「代謝のネットワーク」や「遺伝子発現の機構」にはこの種の矢印がふんだんに存在しています.

これは,一見数学における「 {A} ならば {B} 」と似ているようでありながら,異なるものです(むしろ「反対向き」であり,かつ,「順序」や「時間」といったことを捨象しない立場).

*******************************

(『圏論の歩き方』207ページから、抜粋)



結弦「代謝とか、遺伝子発現とか、生物学の話じゃない」

若菜「数学の本に、そんなことが、書いてあるのですか?」

私「生物学科の学生を教えている、数学の先生が、例としてあげている」

麻友「例だから、生物学での意味が、分かってなくても、いいのよね。そうでしょ、太郎さん?」

私「その通りだ。ところで、3人は、ブルバキランダウのブログの『数学原論(その10)』の投稿で、次のような、真理表を {\bigcirc,\times} で埋めたのを、覚えているだろうか?」


{\begin{array}{c|c|c|c|c|c}
A & B & A \Rightarrow B & nonA & B & (nonA) ou B\\
\bigcirc &\bigcirc & \bigcirc & \times &  \bigcirc & \bigcirc \\
\bigcirc & \times & \times & \times & \times & \times \\
\times & \bigcirc & \bigcirc & \bigcirc & \bigcirc & \bigcirc \\
\times & \times & \bigcirc & \bigcirc & \times & \bigcirc \\
\end{array}}


結弦「やったねー。ほとんど忘れてたけど」

麻友「これ見るまで、忘れてたわ」

若菜「確か、{A \Rightarrow B}{(nonA) ou B} が、同値だと示したかった」

私「一部分だけ、持ってこよう」




*******************************



若菜「{A \Rightarrow B} と、{(nonA) ou B} が、なぜ同じなんですか?」

 これは、結構、難しいんだ。

 真偽表というものを、書かないと、理解しにくい。

 まず、{A}{B} が、それぞれ、正しい(◯)か、正しくない(✕)かの、どちらかで、あるとしよう。

{\begin{array}{c|c|c|c|c|c}
A & B & A \Rightarrow B & nonA & B & (nonA) ou B\\
\bigcirc &\bigcirc &&&&\\
\bigcirc & \times &&&&\\
\times & \bigcirc &&&&\\
\times & \times &&&&\\
\end{array}}

という表の、{A}{B} が、それぞれ正しい(◯)か、正しくない(✕)のとき、表の右の空欄を、埋められるか?

結弦「{A \Rightarrow B} は、{A} が成り立てば、 {B} が成り立つなんでしょ。だったら、{A} が成り立って、{B} も成り立ってる場合は、正しいことを言ってることになるから、{A \Rightarrow B} のすぐ下は、◯だ」

若菜「同じように考えると、{A} が成り立っているのに、{B} が成り立たない場合は、{A \Rightarrow B} は、正しくないことを言ってるので、✕ですね」

{\begin{array}{c|c|c|c|c|c}
A & B & A \Rightarrow B & nonA & B & (nonA) ou B\\
\bigcirc &\bigcirc & \bigcirc &&&\\
\bigcirc & \times & \times &&&\\
\times & \bigcirc &&&&\\
\times & \times &&&&\\
\end{array}}


「ほらほら、こうなるのよ。私が、難しい問題を、解かされる。{A} が、成り立たない場合なんて、{A \Rightarrow B} は、どう考えればいいのよ。太郎さん」

 うん。特待生でも、解けないか。条件を、丁寧に、チェックする。{A \Rightarrow B} は、{A} が、成り立つ場合のことを、書いてる。だから、{A} が成り立たないなら、問題はなく、スルーできる。

「スルーするって、この場合、どうすること?」

 ◯にするってこと。

「えっ、でも、✕の可能性は?」

 ✕に、できないだろ。

「✕にできないから、◯にするって、いつもの太郎さんののんきな判断で、良いのかしら。他の論理学の本、見てみようかしら?」

 やめた方が良い。

 先日、相対性理論のブログの『プリン君のシャーペン』という投稿で、読んでいると書いた、『直観主義集合論

竹内外史直観主義集合論』(紀伊國屋書店

OD>直観主義的集合論 (紀伊國屋数学叢書 20)

OD>直観主義的集合論 (紀伊國屋数学叢書 20)

は、日本で唯一の、いや世界でも珍しい、直観主義集合論の本で、そこでは、

『Aが正しい』

ということを、

『Aを確認する方法をもっている』

と、捉え直すことで、新しい数学を、作っている。

 だから、その本では、

{A \rightarrow B}

は、

『Aを確認する方法が与えられたときに,その方法をもとにしてBを確認する方法を作る方法をもっている』

と定義される。

 思いっきり書いちゃうけど、

{(\neg A \vee B) \Longrightarrow (A \rightarrow B)}

は、成立するけど、

{(A \rightarrow B) \Longrightarrow (\neg A \vee B)}

は必ずしも成立しない。

「そうなると、どうなるの?」

 本当に、否定の否定が肯定にならない論理となる。

若菜「どうして、そんな本読んでたんですか?」

 自分のやっている数学が、本当に、真理を穿ったものだろうかと、ちょっと、心配だったんだ。

結弦「でも、数学自体が、矛盾するとか、そういうことは、ないんでしょ」

 おお、良いこと言うじゃないか。ブルバキは、数学自体が矛盾するということに対して、どういう意見だったか、『第1章を読むための注意』の後の、『序』の最後に、ブルバキの見解がある。

若菜「楽しみですね」

「さっきの {\rightarrow} と、{\Longrightarrow} の違いは?」

 {\rightarrow} の方は、私達が、『現代論理学』を読んで行くときや、NKとBGの要約の中の私の記述での {\Rightarrow} と、同じ使われ方をしていて、{\Longrightarrow} の方は、{A \Longrightarrow B} が、正しいという主張のときだけ、使うのだと、竹内外史さんが、書いている。

「なんだ、太郎さんも、分かってないのか」

 完璧には、分かってない。

 いずれにせよ、排中律という、{A \vee \neg A} という {A} か、または、その否定 {\neg A} というものの、どちらかが成り立つと仮定しないと、数学は翼を持って、飛ぶことができない。

『翼はいらない』

という歌もあったけど、麻友さんのように、

♪その背中に、夢の翼(はね)が、生えてる

人達は、どんどん飛翔して、上から全体像をつかめ。


「そうだとすると、

{\begin{array}{c|c|c|c|c|c}
A & B & A \Rightarrow B & nonA & B & (nonA) ou B\\
\bigcirc &\bigcirc & \bigcirc &&&\\
\bigcirc & \times & \times &&&\\
\times & \bigcirc & \bigcirc &&&\\
\times & \times & \bigcirc &&&\\
\end{array}}

と、なるわね」

 結弦、次の2行、埋めてみろ。

結弦「こんなの、簡単」

{\begin{array}{c|c|c|c|c|c}
A & B & A \Rightarrow B & nonA & B & (nonA) ou B\\
\bigcirc &\bigcirc & \bigcirc & \times &  \bigcirc &\\
\bigcirc & \times & \times & \times & \times &\\
\times & \bigcirc & \bigcirc & \bigcirc & \bigcirc &\\
\times & \times & \bigcirc & \bigcirc & \times &\\
\end{array}}

 じゃあ、若菜。最後の行。

若菜「はい。どっちかが◯なら◯を付けて良いんですね」

{\begin{array}{c|c|c|c|c|c}
A & B & A \Rightarrow B & nonA & B & (nonA) ou B\\
\bigcirc &\bigcirc & \bigcirc & \times &  \bigcirc & \bigcirc \\
\bigcirc & \times & \times & \times & \times & \times \\
\times & \bigcirc & \bigcirc & \bigcirc & \bigcirc & \bigcirc \\
\times & \times & \bigcirc & \bigcirc & \times & \bigcirc \\
\end{array}}

 おお、できたな。

「これで、何をやりたかったの?」

 若菜の

{A \Rightarrow B} と、{(nonA) ou B} が、なぜ同じなんですか?』

という問いに答えるのが、目標だった。

 若菜、最後の行、埋めて、何か感じなかったか?

若菜「最後の行の、◯✕の並びが、{A \Rightarrow B} と、まったく同じです。だから、この2つを、同じとして良いんだと分かりました」

 お母さんに似て、賢い子だ。


*******************************
ブルバキランダウのブログの『数学原論(その10)の投稿より)



麻友「あのときも、矢印は、色々問題になったのよね」

私「まず、混乱させないように、きちんと、結論を書いておこう。私の数学の立場では、


{A \Rightarrow B}

{\neg A \vee B}

は、同じ真理値を持つので、{A \Rightarrow B} は、{\neg A \vee B} だと定義しても良いのだと、信じていて良い」

麻友「太郎さんを、信じることほど、危ないことは、ないのよね」

若菜「数学者くずれ、ですか?」

私「まあ、信じなくてもいいよ。手の内は、全部見せるから、自分で判断してくれ。それよりも、今回出てきた、


*******************************


これらの「見えない矢印」は,実にさまざまの意味を持っています.中でも重要なのは,矢印 {A \rightarrow B} が,

{A} があるから {B} がある/{A} がなければ {B} がない


*******************************


の、矢印を、真理表(真偽表ともいう)で、書いてみてくれ。これで、書きにくかったら『親が、音楽教育を早期から始めたならば、モーツァルトのような天才が生まれる』を、例に取りながら、


原因があるから、結果がある

{\rightarrow}

原因がなければ、結果がない


の、因が、{A}で、果が、{B} だとして、{\bigcirc,\times} をつけてごらん」

結弦「まず、{A} が、{\bigcirc} のときは、原因があるとき、その場合、結果があれば、つまり {B} が、{\bigcirc} ならば、『原因があるから、結果がある』を、満たすから、{A \rightarrow B} の下の1段目は、{\bigcirc} となる。


{\begin{array}{c|c|c}
A & B & A \rightarrow B \\
\bigcirc &\bigcirc & \bigcirc \\
\bigcirc & \times & \\
\times & \bigcirc & \\
\times & \times & \\
\end{array}}


こうなる」

若菜「私にもやらせて、原因があって、結果がないとき、その場合、『原因があるから、結果がある』は、成り立ってない。この場合、{\times} だから、


{\begin{array}{c|c|c}
A & B & A \rightarrow B \\
\bigcirc &\bigcirc & \bigcirc \\
\bigcirc & \times & \times \\
\times & \bigcirc & \\
\times & \times &  \\
\end{array}}


だと思う」

麻友「その次の場合を、前回太郎さんは、{\times} にできないだろう、などと、のんきなことを言って、{\bigcirc} にした。私が、他の本も見てみようかしら、と言ったら、やめた方が良いと言った。でも、今度は、食い下がるわよ。『原因がなければ、結果がない』なんだから、『原因がないのに、結果がある』というのは、反対のことを言ってる。だから、{A \rightarrow B} の下の3段目は、{\times} となる。


{\begin{array}{c|c|c}
A & B & A \rightarrow B \\
\bigcirc &\bigcirc & \bigcirc \\
\bigcirc & \times & \times \\
\times & \bigcirc & \times \\
\times & \times & \ \\
\end{array}}


どうよ、太郎さん」

私「そこだけが、数学の場合の『ならば』と、日常の『ならば』の違うところなんだよね」

麻友「残った、1つは?」

結弦「僕が、やってあげるよ。原因がなくて結果もないんだから、『原因がなければ、結果がない』に、そのまま当てはまって、{\bigcirc} になる。だから、


{\begin{array}{c|c|c}
A & B & A \rightarrow B \\
\bigcirc &\bigcirc & \bigcirc \\
\bigcirc & \times & \times \\
\times & \bigcirc & \times \\
\times & \times & \bigcirc \\
\end{array}}


が、最終的結果」

私「それ、やってみて、なにか、気付かないか?」

若菜「そうですねえ。お父さんのと、違いますね。ブルバキとも、現代論理学とも、違いますね」

結弦「これって、別なもので、なかった?」

麻友「あっ、同値! そうよ、『{\equiv}』 の真偽表


{\begin{array}{c|c|c}
A & B & A \equiv B \\
\bigcirc &\bigcirc & \bigcirc \\
\bigcirc & \times & \times \\
\times & \bigcirc & \times \\
\times & \times & \bigcirc \\
\end{array}}


と、同じだわ」

私「そういうことなんだよ」

麻友「そういうことって?」

私「普通の人が、日常使っている論理は、モーツァルトのような天才を作りたい。じゃあ、モーツァルトのような天才が生まれる原因を探ろうと調べ、こうすれば、モーツァルトのような天才が生まれるはずだ、と頑張る。でも、結局モーツァルトを作るには、モーツァルトのときとまったく同じことを、しなければならないと、気付く。要するに、結果と同値なことを、原因として持ってこなければ、ならないということなんだ」

結弦「うっ、さすが、数学の天才を豪語する、お父さんの言うことは、重い」

若菜「お母さん。お母さんも天才なら、お父さんのこと、もう少し大事にしなきゃ」

麻友「太郎さん。大事にして欲しくて、この投稿書いたの?」

私「麻友さん、まだ会ってもくれないのかなあ? と、首を長くしてる」

結弦「それで、この矢印が、同値と同じ、真偽表を満たすから、同じものとしていいの?」

私「それは、認められないだろう。その問いを解く鍵は、原因と結果の間には、時間のへだたりがあるということなんだ」

若菜「『圏論の歩き方』にも、『「順序」や「時間」といったことを捨象しない立場』と、ありました」

私「そう。数学の場合、時間が経ったら、正しかったものが、正しくなくなるということは、ないけど、人間の場合、そういうことは、日常茶飯事だ。考え方が、全然違う」

麻友「太郎さんは、その日常の矢印の研究は、してないの?」

私「多分、哲学者の人達というのは、そういうことを、大好きな人達なんじゃないかなあ。あの女の子、どうなった?」

麻友「余り、そういうことは、聞かない方が、いいわ。試験は水物というし」

若菜「お父さん。他の人まで、気にしている場合ですか。それより、お父さんが、今後使う、矢印『{A \Rightarrow B }』は、『{\neg A \vee B }』と、同値なもの、とするんですね」

私「そうだよ」

結弦「確かに、数学で、『正三角形ならば、二等辺三角形である』は、頂角を60度以外にすれば、正三角形でない二等辺三角形なんか、いくらでもあるから、そういうのにも、通用するようにできてないと、駄目なんだな」

私「やっと、分かってくれたか」

麻友「確かに、太郎さんの心の中で、こういうものが、精密に築かれているのって、感じる。美しいと感じるのも、分からないではないわ。太郎さん、そばに行ってあげましょうか?」

私「まず、平常心を保つために、メールを頂戴よ」



若菜「今日は、そっとしておきましょ」

結弦「皆さん。お休みなさい」

現在2020年2月3日21時18分である。おしまい。